Sky and Ground

第1話『ガイアとテンクウ』


ここにふたつの世界がある。
ひとつは、広大な大地と海を持った「地上」の世界。人はその世界を「ガイア」と呼ぶ。
もうひとつは、ガイアほど大きくはないが、その大地のずっとずっと真上、空の中に浮かんでいる空中都市、「テンクウ」。
ふたつの世界は古くから交流を持ち、貿易も盛んに行われていた。
その貿易に欠くことのできないのが、海に面し、なおかつテンクウの真下に位置してテンクウとの交通や貿易のすべてを担っている大きな町、ワードレードである。
この物語は、そんなワードレードの町から始まる…。


「おい、親分!待ってくれよ。」
貿易屋でごった返した人混みの中で叫ぶ青年。彼の名前はダグ。
いかにも重そうな、大きな布袋を二つほど肩にしょって人混みの間をかき分けるように進んでいく。
そのいくらか前を進んでいたひときわ体格のいい男がちらっと振り、
「チンタラしてねえで早く来い!飛空船に乗り遅れるぞ!」
ダグに「親分」と呼ばれているこの男の名はデルガノ。
見るからに怪力であるこの男はダグの倍以上の荷物をかついでずんずんと人混みを進んでいく。
ダグはデルガノに追いつこうと必死である。


なんとかギリギリで飛空船に乗り込んだ時には、ダグはぜえぜえと息を切らせていた。
対照的にデルガノはちっとも息を乱していない。
「なんだよ、情けねえなあ。これくらいでくたばっててどうする。」
呆れ顔でデルガノが言った。
「俺は親分みたく馬鹿力じゃないからな。」
「なんだと?」
「俺はその分頭を使って商売を…」
言い切らないうちにデルガノの太い腕がダグの首を締め付けた。
「!…ぐっ…」
ダグは必死にもがくが、デルガノの"馬鹿力"を前にしてはどうすることもできない。
「ふん、大した脳みそも持ってねえくせに大きな口叩くんじゃねぇ!」
「くっっ…苦しいっ…ごめんよ、親分…。」
ようやくデルガノの腕が離れると、ダグはさっきにも増して息をぜえぜえと言わせた。
「……死ぬかと思った……。」
そうしてる間にも、飛空船はどんどん空高く上がっていく。飛空船はガイアとテンクウを結ぶ唯一の交通手段である。
両国の関係は良好で、毎日多くの人々が飛空船を使ってガイアとテンクウを行き来している。
ダグ達が乗っている飛空船は"貿易屋"専用の飛空船で、貿易屋の人々がギュウギュウと、定員ギリギリまで乗っている。
"貿易屋"というのは、ガイアとテンクウのそれぞれの名産品などの仕入れ、販売を行っている商人のことである。
ダグとデルガノも貿易を生業としている者で、ガイアの各地で仕入れた名産品をこれからテンクウで売りさばきに行こうとしているところだ。
空を見上げるとテンクウの大地が浮かんでいて、どんどん近づくにつれてその大きさがはっきりとしてくる。
なぜあんなに大きな固まりが宙に浮いていられるのか、多くの学者が今でも研究を続けているが、その答えはまだはっきりとはしていない。
しかし、どうもテンクウの真ん中に大きな不思議な力を持った石が埋め込まれていて、どうやらその力によって浮いているらしいということが最近の研究で明らかになった。
だとしても、その不思議な力を解き明かすにはまだ多くの時間がかかりそうである。

しばらくして、飛空船はテンクウに到着した。
多くの貿易屋が一斉に走り出し、テンクウの商業地区へと向かう。彼らは毎回商業地区の一角に出店を出すのだが、より良い場所に出店を構えるためである。出店の場所は売り上げを左右するのである。
そんな中、ダグとデルガノは悠々と歩いて商業地区に向かう。実はデルガノは貿易屋の中では知らない者はいない、大がつくくらいのベテランなのだ。だから、暗黙の了解でデルガノの出店の場所はある好条件の場所と決まっており、どんなに場所がなかろうと他の貿易屋はその場所には絶対に出店を構えようとしない。これにはデルガノの地位の他に、腕っぷしの強さも関係してくる。もし他の貿易屋がその場所に出店を構えたら、デルガノの強烈な拳をお見舞いされるということをみんな知っているのだ。
後からやってきたデルガノとダグはいつもの場所で店の準備を始めた。といっても、布を広げてその上に商品を並べるだけである。
食べ物から工芸品まで、ガイア各地の名産品がずらりと並ぶ。
「あらデルガノさん、今日は何を仕入れたんだい?」
さっそく常連の婦人がデルガノの店の前で足を止めた。
「おう、今日のおすすめはなんといってもバレーナ地方のオレンジだ!一番良いのが手に入ったんだ。」
デルガノはその大きなガラガラ声で商売を始める。
デルガノの仕入れた商品は質が良くて値段も手頃ということで評判で、一番人気の出店である。次々とお客が集まってくる。
「おいダグ、おまえこれをいつもの所に届けてこい。」
「わかった、親分。」
ダグはデルガノに渡された袋を持って、通りを駆けていった。足の悪い老齢の神父の家に届けるのだ。
以前は杖をつきながら商業地区まで買い物に来ていたのだが、それを見たデルガノが家への宅配を名乗り出たのだ。それ以来、定期的にその神父の家まで商品を届けている。





ある大きな魔導学校の廊下。
「お嬢様!お嬢様!」
ひとりの青年が困ったような表情を浮かべつつ、誰かを呼んでいる。しかし返事がない。
「お嬢様!どこにおられるのですか!お食事の時間ですよ!」
「ファイア!!」
近くの部屋から女の声がして、その後にゴォッという音が聞こえた。
「!あちっっ……あちちちっっ…!!!」
「!お嬢様!」
青年は慌てて部屋のドアを開けた。
するとそこには1人の若い女の子がいて、必死に自分のスカートの端をはたいている。煙を上げてチリチリと音を立てているのを見ると、どうやら焦げたらしい。
「なっ、何やってるんですかお嬢様!大丈夫ですかっ!?」
慌てて青年が近寄る。
「あぁ……お洋服が焦げてしまったじゃないですか。」
「うるさいわね、それぐらいどうってことないわよ。」
ふん、とその少女はすねたような顔をした。
「ちょっと魔法を使って暖炉に火をつけようと思っただけなのに、全然違う所に火が飛んでくんだもん。」
「暖炉って……今日は暑いくらいじゃないですか。」
「魔法の練習よ!それくらいわかりなさいよ!ルス!」
「は、はい…。」
ルスと呼ばれた青年は、肩をすくませながらスカートの裾をはたいていた。
テンクウの特徴のひとつとして、"魔法"がある。テンクウ人とガイア人は外見に大きな違いはないが、テンクウ人は昔から魔法を使えるという特徴があり、それはガイア人にはない特別な力である。古くから魔法は病気や怪我の治癒や火起こしなどに使われているが、テンクウ人でもいくらかの修行を積まなければうまく魔法を使う事ができない。
なので多くの子供達は魔導学校へ通い、一通りの簡単な魔法を使えるように修行をするのだ。
その魔導学校の中でも、この学校は歴史と権威を持ち備えたトップクラスの学校である。
そしてこのスカートの裾を焦がした少女はこの学校の院長の娘であり、名をアンナという。トップクラスの魔導学校の院長の娘とくれば、世間一般でいう「お嬢様」である他はない。
そのアンナのお世話係として雇われているのがルスである。ルスが10歳の頃、両親を亡くしたルスを院長であるマーカスが引き取り、そのころ8歳だったアンナの世話係&遊び相手としてルスを雇ったのだった。雇うといっても、ルスはこの魔導学院でギルバード家と一緒に暮らしていて、既に家族のようなものである。そして彼は魔導学院の生徒でもあるので、多少の魔法を使う事ができる。
「もうスカートはいいわよ。」
アンナはそっけなくスタスタと歩いて部屋を出ていった。
「ま、待って下さいお嬢様!」
慌ててルスも駆けていった。
アンナが歩いていく先は食堂…ではなくて、玄関の方であった。
「ど、どこに行かれるのですか?お嬢様・・・食堂で父上様達が待っておられますよ。」
「別にお腹はすいてないからご飯はいらないわ。中だとせまいから外で練習してくるわ。」
「しかしお嬢様、お食事を抜かすとお体にもさわりますし…。」
「うるさい!!」
ルスの事をちっとも気にせずに、アンナはずんずんと玄関の方へ歩いていった。
「お、お嬢様〜!」





テンクウにあるとある教会。だいぶ古くなっているが、そのぶん歴史を感じさせる建物である。
「じいさん、いつものやつ持ってきたよ!」
ダグが扉を開いて、元気よく言った。
「おお、ダグか。いつも悪いのう。」
そう言って置くからゆっくりと出てきたのは、杖をついた老人であった。その身なりから神父であることがわかる。
ダグは神父に近寄って、
「いいって。たいしたことじゃないさ。それよりこれ、いつものやつね。」
そういってダグが神父に手渡した袋の中には、果物やら野菜やらといった食料や生活用品などが入っている。
それと引き替えに、神父は自分のポケットから取り出して、「ありがとう。」と言いながらお金をダグに手渡した。
「まいど!じゃあな、じいさん。」
「ああ、また来てくれな。」
ダグは神父に別れを告げると、一気に外に駆けだしていった。
「元気のある坊主じゃのう。」
ふっと神父が笑みをこぼした。

ちょうどお昼の時間でみんな家にいるらしく、魔導地区の人通りはあまり多くなかった。
ダグの駆けていく音があたりに響き渡る。
ちょうど大きな建物の前にさしかかった時だった。ダグはその建物に気を取られながら走っていた。
――でっけえ建物だな、一体どんな奴が住んでやがるんだ……
どん!!!
「うわっっ!」
「きゃっっ!」
にぶい音と共に衝撃が走って、ダグはその場に尻もちをついてしまった。どうやら誰かとぶつかってしまったらしい。
「いてててて……。」
じんじんとお尻に痛みを感じつつ、ふと横を見ると自分と同じように尻もちをついたらしい少女がいた。どうやらこの少女とぶつかったらしい。
−やばっ…怪我させちゃったかな。
「あっ…あの、ごめ…」
謝ろうとしたその時だった。
「痛いわね!!何すんのよ!!」
「……え……。」
いきなり大声で怒鳴り始めた少女を前に、ダグはあっけにとられて一瞬何も言う事ができなかった。
「ちゃんと前向いて歩きなさいよ!」
ぷんぷんと怒りながら、少女は立ち上がってスカートの誇りをパンパンと払った。そのスカートの裾の一部が焦げているのが見えた。
ここはギルバード魔導学院の正面玄関の前、そしてその少女はアンナである。
「お嬢様!」
ルスが慌てて正面玄関の階段を降りてきた。
「……お嬢様?」
ダグはじっとアンナを見た。
「お嬢様!お怪我はございませんか!?どこか痛いところは!?」
ルスは大慌てでアンナの手や足に怪我はないか確認した。
「大丈夫よ。何ともないわ。」
アンナは再びダグの方に振り返り、
「まったく。気をつけなさいよね!」
ダグはその言葉にムッとした様子で、立ち上がってアンナを睨みつけた。
「何だと…?さっきから聞いてりゃいい気になりやがって!」
「な、なによ…。」
アンナは少したじろいでいる。
「だいたいそっちがいきなり飛び出してくるからいけねーんだろ!?」
その言葉に今度はアンナがカチンときたらしく、たちまち口論が始まった。
「はあっ!?よそ見してたのはそっちでしょ!?」
「うるせえ!俺はただ道を走ってただけだぞ!」
「走るときぐらい回りを見なさいよ!」
「何だと!」
「何よ!」
お互い睨みあいながら、一歩も引かない。
「ちょっとお嬢様!そんな大声でけんかをされてはいけません!ご近所に聞こえますよ!」
「ルスは黙ってて!!」
ルスは"お嬢様"としてあるまじき行為を止めようと必死だが、アンナはルスを見ようともしない。
「ふん、お前このでけー屋敷に住んでる娘か。」
ダグが言った。
「ここは屋敷じゃなくて魔導学院よ!ギルバード魔導学院。あんたそんな事も知らないの?」
「興味ないんでね。俺はガイアの人間だからな。」
「ガイアの人間でも知ってて当然のことよ。あんた相当のアホね。」
「何だと!」
ダグは頭にきて拳を握りしめて腕を振り上げた。しかし目の前にいるのがどんなに口が悪くても女だということに気づき、拳をピタッと止めた。
「何よ。殴る気?いいわよ。でもこっちには魔法っていう手段があるんだからね!」
「!お嬢様!魔法を争い事に使ってはならないと父上様がきつく申しておりましたでしょう!」
ルスの引き止めも案の定、アンナには通用せず、
「ちょっとかすり傷を負わせてびびらせるだけよ。ちょうど練習にもなるし…。」
「お嬢様!」
「ふ、ふん、魔法なんて大した事ないだろ。」
「でもガイアの人間であるあなたには使えないでしょう。」
ふふっと、アンナが得意そうな笑みを浮かべた。
「そっ、そんな大した事ねえモン、俺にだって使えるさ!」
アンナは目を丸くすると、大きな声で笑いだした。
「あはははっっ……あんたなんかに使えるわけないでしょ!?」
「うっうるせえ!」
「そんなに言うなら見せてみなさいよ!あんたの魔法ってやつを!」
ふふふっとアンナは得意そうに笑う。
「くっ……。」
勢いで言ったものの、ダグは魔法なんて使えた事がない。というか、試したことすらない。ガイア人に魔法は使えないのだ。
それでも、言ってしまったらもう引き下がることなんてできない。ダグは大の負けず嫌いである。
――くそっ…こうなったら駄目もとだっ!
「わかったっ!見せてやるっ!」
ダグはそう言い放った。
「あら、楽しみね。」
「お、お嬢様…。」
「大丈夫よ、ルス。どうせできっこないんだから。」
ダグはやけくそになって手を前に構えた。こうなったら見よう見まねでやってみようという事である。昔ガイアに来ていたテンクウのサーカス軍団がやっていたのを頭の中でイメージしつつ、手のひらに神経を集中させた。そしてすぅっと息を吸い込んで、大きな声で呪文を唱えた。

「ファイアッッ!!!!」

その瞬間、手のひらが熱くなるのを感じた。
それと同時に目の前がぱっと明るくなって、炎がめらめらっと燃えた。
「うわっ!!」
「きゃっ!!」
「ひぃっ!!」
思わずその場にいた3人とも目をつぶった。
炎はすぐに消え去り、その場に煙だけが残った。幸い炎は空中で燃えただけで、誰にも危害はなかったが、
誰もかもがあっけにとられて、あたりはしんと静まりかえった。
「………い、今……炎が……。」
ダグは目を丸くしたまま、じーーっと自分の手のひらを見つめていた。
「俺……今魔法使ったのか……?」
「あ、あんた、嘘ついたでしょ。」
アンナがやっと口を開いた。
「え?」
「あんた本当はテンクウの人間なんでしょ?」
「違う、俺は本当にガイアの人間なんだ。」
「嘘よ!なら今の炎は何なのよ!」
「お、俺だってわかんねぇよ……。」
ダグは相当困惑しているらしく、冷や汗をかいていた。
その時、学院の中から男の声が聞こえてきた。
「アンナ!ルス!どこにいるんだ!」
どうやら二人を呼ぶ学院長マーカスの声のようだ。
「お、お嬢様。父上様が呼んでおられます…。」
「わかった…もう練習はやめたわ。行きましょう、ルス。」
アンナはちらっとダグの方を見て、
「あんた、名前はなんて言うの?」
「名前?そんなの聞いてどうすんだよ。」
「ただ、ガイア人のくせに魔法を使う変な奴だから気になっただけよ。」
「人の名前を聞く前にまず自分の名前を言うだろ、フツーは。」
「あーはいはい。悪かったわね。私はアンナよ。ここの魔導学院の娘。」
「俺はダグ。貿易屋だ。」
「そう…。まあ、これから会うこともないかもしれないわね。……私はもう行くわ。」
「俺も仕事がある。」
アンナはじっとダグを見つめてから、何も言わずに玄関の階段を登っていった。
その後にルスがダグに「失礼します。」と言って軽くお辞儀をして、アンナの後についていった。
ダグはまださっきの魔法の事を考えながらも、商業地区の方へまた走り出した。
――さっきのは本当に……魔法ってやつっだったのか?…だとしたら、なんでガイア人である俺が使えたんだ……。
考えても考えても、答えは出てこない。頭を使うことはあまり得意ではないダグは、そのうち考えるのがめんどくさくなってきて、
――わかんねぇ……。まあ、そんな事はどうでもいいか。
そう思うようになってきた。
――どっちにしたって、俺の生活に魔法なんて必要ない。忘れちゃえばいいことだよな。





「一体何をやってたんだ?アンナ、ルス。」
家族4人で囲む食卓の席。マーカスが遅れてきた二人に尋ねた。
「少し魔法の練習をしてたのよ。」
アンナがパンをちぎりながら答えた。
「そうか。良い心がけだ。しかし無理をするんじゃないぞ。魔法は結構体力を使うからな。」
「私は大丈夫よ、お父様。それに多少でも無理をしないと学院長の娘として十分な魔力はつかないわ。」
「しかし私は今の時点でそれだけの魔力を持っていれば立派だと思うぞ。成績もトップじゃないか。」
「それでもまだまだ上を目指すべきなの。」
「ほう、それは頼もしいなあ。」
マーカスはふっと笑みをこぼした。アンナの母のエリスも隣でにこやかな顔を見せた。
「……ねえ、ところでお父様、聞きたいことがあるの。」
「何だ?」
「テンクウ以外の人間が魔法を使えることってあるの?」
「それはないさ。魔法を使えるのはテンクウの人間だけだ。」
「で、でも…私見たのよ。ガイアの人間だって言ってるくせに魔法を使った男を!」
「ガイアの人間が?まさか。」
「本当よ!」
「父上様、私も見たのです。」
ルスがそう付け加えると、マーカスはナイフとフォークを止めて、しばらく考え込んだ。
「……その人は本人が気づいてないだけで、本当はテンクウの人間かもしれないぞ。それか、テンクウとガイアの混血かもしれん。」
「混血…。」
アンナは繰り返して、しばらくじっと考え込んだ。
「しかし、その魔法を使ったガイア人の男とは一体誰だ?まさかお前のボーイフレンドか?」
「ちっ、違うわよ!!そんなんじゃなくて、ただそのへんで会った口の悪い男よ!」
アンナは顔を真っ赤にして、必死に訂正した。
「お嬢様、落ち着いてくださいっ!」
と言ってルスが止めに入った。その様子を見たマーカスは、笑い声をあげて、
「はははは、お前ももう年頃だからな、ボーイフレンドくらいいるかと思ってな。」
「もうっ…からかうのは止めてよ、お父様!」
食卓に笑いが響いた。
天気の良い、平和な午後であった。





夕日が西の方角で真っ赤に燃えていた。
それを受けてテンクウの町並みもオレンジ色になっていた。
この時間になると貿易屋達は続々と店じまいを始め、それぞれが宿をとったり、ガイアに帰ったりしていく。
デルガノとダグも店じまいをして、朝よりずいぶん軽くなった袋を背負い込んだ。デルガノとダグには、他の貿易屋とは違ってまだ仕事が残っていた。
二人が向かった先はテンクウの中心、テンクウ城である。ベテランのデルガノは王室からも信頼を寄せられており、毎回城に行って果物や野菜などを納めているのだ。
テンクウは主に5つの区域に分かれている。
多くの人々が暮らす住居地区、教会や魔導学校などが並ぶ魔導地区、貿易屋などの商人が商売をする商業地区、果物や野菜の栽培、畜産などが行われている産業地区、そしてその中心にそびえる大きな城、テンクウ城と庭園が王族地区である。テンクウはこのテンクウ城に暮らす国王によって統治されている。現在の国王はロゼット・アスルブラーナで、息子のスカウルと暮らしている。王妃であるソフィアは十年ほど前に病気で亡くなった。国王の統治能力はなかなかのもので、テンクウは平和を保っていた。
テンクウ城の入り口、一般の人が中に入るには入城証が必要だが、長い間城に品物を納めているデルガノとダグは、兵士とも顔なじみになり、今や顔パスである。
門番をしていた若い兵士に軽く挨拶をして中に入ると、ちょうど前の方から背の高い男が歩いてくるのが見えた。他の兵士よりも一段上の防具とマントを身にまとっていて、いくつかの兵士を連れて歩いている。この男は、テンクウ兵士団の兵士長、グレイスである。ブロンドの髪と端正な顔立ちで女の子からの人気は抜群である。
グレイスは二人に気づくと、微笑んで会釈をした。
「ごくろうさまです、デルガノさん、ダグさん。」
「おう、兵士長さん。いやいや、こっちも毎回ごひいきにしてくれて感謝してますわ。」
デルガノは笑顔を見せて言った。
すると、グレイスの後ろの方から何人かの兵士に囲まれた若い男が歩いてきた。顔立ちはダグより少し若く見える。
その男がやってくるのに気づくと、デルガノもダグもはっとしてその場に立て膝をついて顔を伏せた。
「王子、貿易屋のデルガノさんとダグさんが来ておられますよ。」
グレイスが振り返って、その男に声を掛けた。その男の名はスカウル。テンクウ王ロゼットの一人息子・・・つまり、テンクウの王子である。
「お、お目にかかれて光栄です、スカウル王子。」
デルガノは立て膝をついたままそう言ったが、滅多に言わない言葉なのでどことなくぎこちない。
「今日も品物を納めにいらっしゃったのですね。ありがとうございます。あなた達の品物は質が良いと城内でもとても評判なのですよ。」
スカウルの顔に笑みがこぼれた。
「あ、ありがとうございます!」
デルガノは恐縮して顔も上げられない状態だった。
ダグはチラッと目を上に向けて、スカウルを見た。いかにも質の良さそうな服を身にまとって、穏やかな表情を浮かべていた。王子だからといって決して町の人を見下そうとはしない、落ち着いた気質を持った王子として評判だったが、実際に会うとそれをひしひしと感じる。
――優しそうな顔だ……。
ダグはそう思った。

その後、デルガノとダグは城に品物を納めるという最後の仕事を終えると、町の宿に向かった。
もうあたりはだいぶ暗くなっていたので、ガイアに帰らずにテンクウに一泊していくことになったのだ。
そしてぐったりと疲れていた二人は、早々に眠りについたのだった…。





今宵は満月の美しい夜だった。
暗い夜空に光る星にかこまれて、丸く浮かんだ月がやんわりとテンクウの町を照らしている。
――月とは美しいものだな。
城の寝室の窓辺に立ち、月の光を浴びながらぼんやりと寝静まった町並みを見ていたロゼットはそう思った。
灯りもつけていない寝室の中は、窓からの月の光でぼんやりと明るくなっている。
ロゼットはこうやって、夜ひとりで月の光を浴びて考え事をするのが好きだった。
開いた窓から吹く風が涼しい。聞こえるのは虫の鳴き声のみ。
――この国が平和であるのは何よりだ…。ガイアとの交流もさかんである。いろいろ大変な事もあったが、この国を統治しているとは幸せなことだ……。
ロゼットはかすかに微笑んだ。
ちょうどその時だった。コンコン、と、誰かがドアをノックする音が聞こえた。
ロゼットは、こんな時間に誰が、と少し驚いて振り返った。
「誰だ。」
もう城の者も寝静まっている時間である。
ガチャッという音と共にドアが開く。
「なんだ、お前か。」
入ってきたのはスカウルだった。
「こんな時間にどうしたのだ?」
ロゼットが訊くと、スカウルは少し微笑んで、
「あまりにも月が綺麗なので、父上と一緒に月を見たいと思ったのです。」
「そうか。……めずらしいな、お前がそういうことを言うとは。」
そう言ってうれしそうな顔をしたロゼットは、王の顔から父の顔へと変わっていた。
「こっちへ来い。ここの窓から見る景色はいいぞ。」
ロゼットが窓辺の方へとスカウルを誘い、ふたりは並んで夜空を見上げた。
そのままじっと景色を見ていると、しばらくしてスカウルが口を開いた。
「父上…。」
「ん?何だ。」
「父上はこの国をよく治めてらっしゃいました。その功績は誰もが認めるところです。」
「何だ、何を言うのだ、急に。」
ロゼットは少し照れたように微笑んだ。
「父上はもう十分に仕事をこなされたのです。……そろそろ私に国王の座を明け渡す時です。」
「!……何を言うんだ?」
「王でいることは、地位と名誉だけでなく多大な労力をも伴います。父上のお体のためにも、私に王権を譲った方が良いのです。」
「……そうか。…スカウル、私の体に気をつかってくれる気持ちは本当に有り難い。しかし私はまだ大丈夫だ。それにお前はまだ若い。もし本当に私がダメになる時が近づいたら、お前に代々伝わってきた王としての心構えを授けよう。」
「……………。」
「そんなに焦らんでも、お前は私の一人息子だ。次期国王はお前以外にいない。」
ロゼットは高らかに笑った。
「……そうですか。やはり駄目ですか。」
スカウルはうつむきながら言った。
「残念だなあ。」
そう言ってスカウルはにやりと笑みを浮かべると、顔を上げてロゼットを真っ直ぐに見た。
ロゼットはその目の怪しげな輝きに一瞬ゾクッとするものを感じて、少しうろたえた。
「な、何だ…。」
スカウルは右手を前に出して、手のひらをロゼットの胸のほうへと向けた。
その瞬間、黒い光がスカウルの手のひらから光ったと思うと、ロゼットの胸に激痛が走った。
「!!!うっっ……ぐああああああっっっっ!!!!」
耐えきれない痛みがロゼットの胸を締め付ける。体を動かそうとするが、動かせない。まるで黒い光が胸にささって体を固定されているようであった。
「素直に王権を譲っていればいいものを……フフフフフ。」
月の光に照らされたスカウルが不気味に笑う。
「スッ……スカウル……!!止めろっっ……うっっ!!!」
「あなたの統治は少々時代遅れなんですよ、父上。"平和"などというくだらない時代は終わらせなければならない。これからテンクウはもっと強大な力を持っていくべきなのだ。」
「うっっ……何を…言っているんだっ!!」
ロゼットは苦痛の表情を浮かべながらも、必死に声を振り絞る。
「ご安心を……父上。テンクウは私が立派にしますよ。」
スカウルは高らかに笑った。ロゼットの悲痛な叫びがそれにかぶる。
しだいにロゼットの声は小さくなっていき、最後には白目をむいてがくっと顔をうなだれた。手もたらんとぶらさがっている。もはや生気はない。
スカウルがまたニヤッと笑って右手を戻すと、黒い光は消え、ロゼットの体はその場にばたりと倒れた。
月の光がスカウルの嘲笑と倒れたロゼットの体を照らしていた。
窓からすうっと涼しい風が吹き込んだ。
聞こえるのは虫の鳴き声のみ。
スカウルはふっと夜空を見上げてつぶやいた。
「……月とは美しいものですね……父上。」

今宵は満月の美しい夜だった。

To be continued...


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