Sky and Ground

第2話『王位継承』


晴れ渡った青空の中に、ぽつんとテンクウが浮いている。ここから見るとだいぶ小さく見える。
風に乗って流れていく雲にかくれたり、姿を現したりする空中都市を、シファは長い間ぼんやりと見つめていた。
テラスに吹く風が頬を撫でていく。
「また空を見ていらっしゃるのですね、シファ様。」
窓辺からユトナが声をかけると、シファは振り返ってユトナに微笑んで見せた。
「そんなにテンクウが恋しいのですか。」
ユトナが言うと、
「そうではないの。ただ……なんとなくここからテンクウを見てるのが好きなの。」
と、シファが答えた。するとユトナはにっと笑って、
「ふふふ、わかってますよ、シファ様。シファ様は“あの方”が恋しいんでしょう?」
「そ、そんなんじゃありません!」
シファは顔を赤くして、思わず声を大きくした。
「わかりやすいんだから、シファ様、ふふふ…。」
「ユトナ!」
「は〜い、ごめんなさい。」
ユトナはまだ笑っている。シファは「もうっ」と言いながらも顔はまだ赤い。
その時、部屋のドアをノックする音が聞こえた。
「はーい。」
ユトナが返事をしてドアの方へ向かおうとしたその時、急にドアがガチャンという大きな音と共に勢いよく開いた。
「わっ!!ちょっと!もっと静かに開けなさいよ!」
ドアを開けた兵士に向かって、ユトナは声を張り上げた。
「す、すいません…。」
兵士が息を荒くしているのを見ると、どうやら走ってきたらしい。
「シ、シファ様!」
キリッと直立してシファの方を見て、兵士は言った。
「ロゼット王がお亡くなりになられました!!」
「えっ……。」
シファはそう言ったまま、その場に立ちつくした。大きくい開いた目はどこかをじっと見つめていて、生気がなくなったかのように見える。
一瞬部屋がしんとして、ユトナが最初に口を開いた。
「王が……?それ……どういうことなの?」
「今朝、寝室で王が倒れているのが発見されました。……既に息はなかったようです。」
部屋はまた沈黙に包まれた。
晴れやかな朝のことだった。





もう昼も近くなった朝。テンクウの町の宿の一室で、デルガノとダグはまだ寝ていた。
ふたりとも寝相が悪いので、どちらのベッドも掛け布団は床に落ちてるしシーツはぐちゃぐちゃになってるという有様だった。
コンコンとドアをノックする音が聞こえた。それも何回も、そのうちドンドンという音で、しつこいくらいのノックの音が聞こえた。
ようやくダグが目を覚まして、目を半分しかあけてない状態でゆらゆらと歩いていってドアを開けた。
その瞬間、
「お客さんっっ!!店を閉めるよっ!支度をして出ていってくれ!」
宿屋の主人の大きな声をあびて、ダグの目は一瞬にして覚めた。ダグが面食らっていると、デルガノも主人の声に起きたらしく、
「おいおい、こっちは客だぜ…いつまで寝てたっていいじゃねえか。」
「緊急事態なんだ!!ロゼット王がお亡くなりになられた!」
「なにっ!?」
デルガノはがばっと飛び起きて、さっきまで閉じていた目をこれ以上開けないくらいに見開いた。
「そっ、それ本当か!?」
ダグ訊くと、
「ああ。今朝亡くなったそうだ。早速今日の午後に葬儀が行われるらしい。だから今日は町中の店という店が休業になる。とりあえず、早く出ていってくれ!俺も支度があるんだ。」
主人はそう言うと、支度のためにまた急いで部屋を出ていった。
「親分、なんか大変な事になったな。」
振り返ってダグが言うと、
「ああ……突然すぎるな。それにまだそんな年でもなかっただろうに。」
ダグは窓のカーテンをめくって、ちらりと外を見た。
たくさんの人々が慌ただしく動いている。たくさんの花を抱えて急ぎ足で歩く娘、果物の入った大きな箱を抱えている店の主人……おそらく葬儀の準備などに追われているのだろう。
中には、道端にも関わらず涙を流しながら城の方向へ祈りを捧げている者もいる。
「このぶんじゃ、きっと飛空船は運行してねえな。ま、ガイアから来るお偉い方用の飛空船は別だろうけど。せっかくだから、俺達も街に出て国王を見送るか。」
デルガノが言った。
「…ああ……。」
ダグは外をぼーっと眺めたまま、曖昧に返事をした。





城の中は、街以上に慌ただしかった。突然の城の主の死は、葬儀の準備やガイアの要人への連絡に追われている兵士や召使いに悲しむ暇さえ与えなかった。これまで衰えることを知らずに政治を行ってきたロゼットが今日死ぬとは、誰も予想すらできなかったことである。昨日だって何も変わったことはなかった。
兵士長グレイスは一通りの指示を部下に与えた後、国王の遺体が安置されている部屋へと向かった。
「失礼します。」
ドアを開けると、まだ蓋をしていない棺が安置されていて、そばに王子のスカウルが座っていた。
「王子、落ち着かれましたか。」
「…私はもう大丈夫だ……。」
そう言って振り返ったスカウルの目は腫れて赤くなっていた。
「私はダメだな……王子である私が人前であんなに取り乱してしまうなんて……グレイスを困らせてしまったな。」
「そんなことはございません、王子。自分の親が亡くなって取り乱さない子供などいません。当然の事なのです。」
朝、ロゼット王の死がスカウルに知らされた後、スカウルは大きな声で泣き叫んだ。スカウルがそれまでその様な行動を見せたことがなかっただけに、周りにいた人達は大いに驚いた。結局グレイスがスカウルを落ち着かせたのだった。
「……これからは、きっと辛いことや苦しいことがあるでしょう……あなたは王になられる方なのですから。もしそのような事がありましたらいつでも私にご相談ください。私はいつでも王子の味方です。」
「…ありがとう、グレイス。」
スカウルは少し目を細めて微笑んだ。
ロゼットはスカウルの唯一の親だった。母親のソフィア王妃はスカウルがまだ小さい頃に病気で亡くなっている。両親を失い、その上これからテンクウを統治していかなければならないという重い責任を背負う事になるスカウルの事が、グレイスは心配でならなかった。
テンクウの統治は15歳の少年が背負っていくにはあまりに重い責任である。
「……私は王になるのだな……。」
「はい、葬儀が終わればすぐに国王就任の儀が執り行われる事になるでしょう。」
「…私はきっとこの国を立派に統治してみせる。きっと…。」
「ええ…あなたなら出来ますよ、スカウル様。」
その時、部屋のドアをノックする音がして、喪服に身を包んだ男が入ってきた。
ギルバード魔導学院の学院長、マーカスである。
「マーカス殿。」
グレイスが声を上げた。
「王子、グレイス殿、お久しぶりでございます。」
マーカスは2人の前で深々と礼をした。
「このたびはご愁傷さまでした……国王のお顔を最後に拝見したいと思い参りました。」
「そうですか……どうぞ、父上も喜びます。」
スカウルがそう言うと、マーカスは一礼をして、静かに眠っているロゼットの顔をのぞき込んだ。
ロゼットは、数日前にマーカスが会った時と何ら変わりのないような顔をしていた。今にも目を覚ましそうでもある。
マーカスとロゼットは若い頃からの仲であり、たまに城を訪れてロゼットと会ったりしていたのだ。
テンクウでトップレベルの魔導学院の長であるマーカスは、魔導では右に出る者はいないほどの知識と腕前を持ち、テンクウの中ではかなり高い地位にある。王と時々会っていても不思議ではない。
「王はなぜお亡くなりになられたのですか。」
マーカスが聞くと、グレイスは少し難しい顔をして、
「それが……はっきりとはわかってないのです。何人もの医師に見せたのですが、外傷もなければ内臓にも特に問題はなかったようで……ただ……」
「ただ?」
「心臓が…通常よりも少し黒くなっていたようです。」
「心臓が…?」
「ええ……しかし、それが直接の原因かどうかはわからないのです。そのような病気は今までに例が無いらしくて…。」
「…そうか…心臓が黒く……。」
マーカスはその場でじっと黙って何か考え事をし出した。
「いかがなされたのです?マーカス殿。」
グレイスが聞いた。
「いや……何かの書物で見た事があると思ってな。」
「本当ですか?ではやはり病気なのでしょうか。」
「私もよく覚えてないので何とも言えないが…。とにかく調べてみよう。」
「ありがとうございます。私達もせめて王が亡くなられた原因が特定できればいいと思っているので…。」
マーカスはゆっくりとうなずくと、スカウルの方に向き返った。
「王子、私は失礼させて頂きます。また葬儀の席でお会いしましょう。」
「ええ、わざわざ来て頂いてありがとうございます。……父の病気の件もお願いします。」
「私も準備に戻ります。王子は葬儀の準備を整えておいて下さい。」
グレイスはそう行って、マーカスと共に部屋を去っていった。
部屋に再び静かな時間が訪れる。
スカウルは椅子から立ち上がると、1人窓の外を静かに眺めた。太陽の光が眩しい。
「……これが父子で過ごす最後の時間ですね、父上。」
物も言わぬ自分の父親にスカウルは静かに話しかけた。
微笑を浮かべると、スカウルはまた窓の外をじっと眺めていた。
外では、街の人々が慌ただしく葬儀の準備をしていた。





その日の午後、テンクウの人々が一斉に城から真っ直ぐにのびる大通りの周りに集まっていた。
国王の葬儀が執り行われる魔導地区の大聖堂まで行われることになっている葬列を見るためである。
ダグとデルガノもその人混みの中に紛れていた。
「もうすぐ始まるみたいだな。」
ダグはピンと背伸びをして、人混みの中から向こう側を見た。門のあたりでは兵士達が既に列を組んでいる。
先頭にいる背の高い男は、兵士長のグレイスだろう。
しばらくすると、音楽隊の奏でる悲しげなメロディーと共に葬列が動き出した。
人々のすすり泣く声の中、葬列は大通りに敷かれた赤い絨毯の上をゆっくりと進んでいく。
赤い布と花束を載せた国王の棺を運ぶ列がダグ達の目の前を通り過ぎる。
棺の前にはスカウルの姿が見える。悲しげな目をしてうつむきながら歩く姿は、人々の更なる涙を誘う。
「あれ…親分、あの人は誰なんだ?」
ダグは小声で隣にいたデルガノに話しかけた。
「ん?誰のことだ。」
「ほらあの…髪の長い女の人だよ、王子と並んで歩いてる。」
ダグが指さした先には、悲しげに歩く少女がいた。
「ああ…ってお前そんなことも知らねえのか。」
「そんなに有名なのか?」
「シファ様だよ、国王の娘、つまりスカウル王子の姉だ。」
「ふぅん…でも城で会ったこともねえな。」
その言葉を聞くと、デルガノは半分呆れ顔で溜息をついた。
「お前ってやつは…どうしてそう教養ってものがないんだ。」
ダグも少しムッとした表情になる。
「わ、悪かったな。どーせバカだよ。」
「シファ様は普段ガイアのサンタティエラ神殿という所にいるんだ。そこで魔法を使って病人や怪我人の治療をしたりしてるんだよ。シファ様の魔力には何か特別な力があるらしいぜ。」
「へえ…ガイアにいるのか…」
「どーだ、いい勉強になっただろ?」
デルガノは得意そうである。
―親分だって大した脳みそ持ってないくせに…。
ダグはそう思った。
そういうやりとりがあった間にも、葬列は静かに進んでいって、大聖堂へと向かっていった。
テンクウはその日一日、深い悲しみに包まれた。
人々の涙は、ロゼットが評判の高い立派な国王であったことを意味していた。
大聖堂での葬儀が終わった後、ロゼット王はテンクウの小高い丘の上に葬られることとなっていた。





葬儀の次の日、早速王位継承の儀が執り行われることとなった。
人々はロゼット王の亡くなった悲しみを振り払って、新しい国王の誕生を歓迎した。
盛大なファンファーレと広場に集まった多くの人々の拍手と共に、テンクウ王家の紋章の入った勲章がスカウルに手渡された。
ここに、テンクウ国王スカウルが誕生したのであった。





「国王就任おめでとうございます、陛下。」
王位継承の儀を終えて国王の間に入ると、執事のバルダーノが待ち受けていた。
バルダーノはロゼット王の執事も務めていた男である。頭の切れる男で、ロゼットの統治を支えていた、まさに縁の下の力持ちである。
もう60を過ぎた年齢であるが、老いを見せることもなく、むしろ年を重ねるごとに落ち着きと貫禄を身につけていく感がある。
スカウルは真っ直ぐに玉座に向かい、ゆっくりとその玉座に腰を掛けた。
―これが玉座というものか。
スカウルは思った。玉座にはテンクウ国王しか座ることができない。小さい頃、好奇心で玉座に座ってみようとしたらロゼットにこっぴどく怒られた記憶があった。それ以来、スカウルは玉座に座ろうとすることはなかったのだ。
スカウルは目をつぶって全身で玉座の感触を確かめた。自分がこの国の頂点に立ったという事を心から実感できる。
思わず微笑を浮かべた。
「陛下、これからは私が陛下の支えとなってまいりますぞ。」
バルダーノが玉座の前で立て膝をついて言った。
「そうか、頼もしいな。」
「特に…先代の王が急にお亡くなりになったため、陛下はまだ王としての本格的な教育を十分に受けぬままに王となられました。わからない事もおありでしょうが、ご安心ください。しばらくは私が助言をさせて頂きますぞ。陛下はその助言を受けて政治を……」
「いや、それは必要ない。」
スカウルが遮った。
「は……いや、しかし政治とは難しいものですぞ。そう簡単ではありません。」
「私には政治ができないと言っているのか。」
スカウルの睨むような目線が向けられ、バルダーノは少し焦りを見せた。
「い、いえ、そうではございません。私はただ……」
「私は自分で、自分の政治をする。お前が口を挟むことではない。」
「……陛下…」
「まだ何か言いたいのか。」
「……いえ…」
バルダーノはうつむいて、それ以上何も言うことができなかった。
スカウルはニヤッと笑みを浮かべると、
「では早速だが、私は自分の政治を行うことにする。私はテンクウを良い国にしたいのだ。」
「それは良い考えでございます。……何か具体的な案がおありなのですか?」
バルダーノが再び顔を上げた。
「ああ…まずはテンクウとガイアを離すのだ。」
「は……と、申しますと?」
「ガイアとの交流を一切断つのだ。貿易も一般市民の行き来も禁止する。もちろんガイア王室との関係も絶つ。」
「!!……な、何を申しておられるのですか。そんなことをすれば、国民からの反感を買うだけですぞ。」
バルダーノは驚きのあまり声を大きくした。
「ふん、そんなことは関係ない。国民はテンクウにとって本当に良いことが何かわかっていないだけなのだ。」
「し、しかし…ガイアとの交流を断つことが一体どんな利益につながるのです?むしろ国は衰えるだけですぞ。」
「ガイアなどという低レベルな国と付き合いを続ければ、テンクウに悪影響を及ぼすだけなのだ。」
「そのような事はございませぬ!ガイアとの交易によってこの国がどれだけ発展したのかを忘れたのですか?」
「発展など、一時的にすぎない。とにかく、ガイアとの交流は一体断つ。まずはテンクウにいるガイアの人間をすべて追い出せ。それから飛空船場を閉鎖するのだ。ガイアの人間がテンクウに入ってこれないようにな。」
「……そのようなことは…できません。」
うつむきながら言うと、スカウルは目を細めてバルダーノを見た。
「お前は私に逆らうのか?」
「……逆らっているのではございません、私は国の事を考えて……」
「国の事は王である私が決める。お前が口を出すことではない。」
「しかし……!」
何かを言おうとして、口が止まった。スカウルの目を見た瞬間に何か背筋にゾクッとするものを感じたのだ。
氷のように冷たい視線はバルダーノを黙らせた。
「バルダーノ、お前は有能な男だ。失うには惜しい存在だ。だから今回は水に流してやろう。しかし、もしまたこのように逆らったら……お前の地位も名誉も財産も、全てないものと思え。」
「……はい…。」
それ以外何も言えなかった。冷たい視線はなおもバルダーノに突き刺さり、汗がじんわりと額ににじむのを感じた。
「では…陛下のおっしゃる通りに致します…。しかし、シファ様はどうなさいます?今朝サンタティエラ神殿へとお戻りになられましたが、使いの兵を出してお呼び戻し致しましょうか?」
「姉上か…。しかしそんな事をしている暇はない。姉上への連絡は必要ない。もちろん、ガイア王室にもな。」
「…シファ様をガイアへ置き去りにするのですか…?」
「だから何なのだ?」
「いえ……すぐに封鎖致します。」
――『お前の地位も名誉も財産も、全てないものと思え。』
スカウルの言った言葉が頭の中で何度も繰り返された。
逆らう事はできない。
バルダーノは心のどこかで恐怖を感じずにはいられなかった。
――シファ様をいつも大事にする方であったのに…。
表情も口調も性格も、自分の知っているスカウルではない。バルダーノはそう思った。

To be continued...


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